NEW

香川真司、小さくて細かった少年が「日本の10番」を背負うまで…香川が追い続けた背中

【この記事のキーワード】

, , ,

ユース時代の香川真司

 サッカー日本代表の「10番」を背負い続ける香川真司。自身2度目のワールドカップ(W杯)となる今回のロシア大会では、初戦のコロンビア戦と第2戦のセネガル戦で2試合連続のスタメン出場を飾ると、コロンビア戦では開始3分に自らのシュートでPKを獲得。これを冷静に決めて、日本のW杯“オープニングゴール”を飾った。

 このゴールを感慨深い表情でテレビ画面を通じて見つめている男がいた。それは、俳優として活躍する青山隼だ。叔母は女優の篠ひろ子、叔父は伊集院静という芸能サラブレッドである青山は、芸能界でより飛躍をしようとしている。

 舞台やテレビ出演など、徐々に俳優として活躍の場をつかみつつある新鋭の俳優である彼は、実は元Jリーガーだ。名古屋グランパス、浦和レッドダイヤモンズ、徳島ヴォルティスで活躍した後、2015年7月に現役引退した。

ユース時代の青山隼

 青山は宮城県仙台市出身で、小学生時代にはFCみやぎバルセロナジュニアユースでプレーしていた。彼が中学1年生の時、突然、遠く離れた兵庫県からひとりの少年が練習参加にやって来た。

「いきなり『神戸からひとり入るかもしれない』と話があり、少年が練習に参加したんです。小さくて、細くて、すぐに潰されてしまうイメージでした。ただ、足元の技術はものすごく高いなとは思いました。でも、『なんで神戸から来ているんだろう』と不思議でした。『いちいち仙台来なくてもいいのに』とも思っていました」(青山)

 その少年こそ、当時小学6年生の香川真司だった。香川はそれから何度も練習に参加し、中学に上がると兵庫から引っ越して来てFCみやぎバルセロナジュニアユースに正式に入団した。

 青山と香川はそこから毎日一緒に練習をし、いろんなサッカーの話をする仲になった。年齢はひとつ違うが、香川は常に青山のそばにいて、いろんな質問をしてきたという。

「真司は僕に『代表はどう?』とか、『◯◯選手はどういう選手なの?』とか、質問攻めでしたね」(同)

 それは香川にとって非常に貴重で、重要な時間だった。当時、彼は年代別日本代表とはまったく縁がなかった。それゆえに、中学時代から年代別日本代表の常連だった青山の存在は、自分が目指すべき場所に先に立っている偉大な人物で、自分もそこに辿り着くための大きな指標であり、知らない世界を教えてくれる貴重な存在だったのだ。

「もしかすると、僕の背中を見ていてくれたのかなと思いますね。代表レベルの選手は練習でどういうことをやっているのかとか、試合中にどう動いているのかなど、本当に興味津々で細かい部分まで聞いてきました。『本当にサッカーが好きなんだな』『心の底からうまくなりたいんだな』とヒシヒシと伝わって来たので、僕もしっかりと伝えようと思っていました」(同)

 ふたりは常にコミュニケーションを取りながら、グラウンドでは暗くなるまで一緒にボールを蹴り合った。青山も香川に負けず劣らずのサッカー小僧だっただけに、時間があれば延々とボールを通じてコミュニケーションを交わしていた。

香川真司、小さくて細かった少年が「日本の10番」を背負うまで…香川が追い続けた背中のページです。ビジネスジャーナルは、エンタメ、ワールドカップ篠ひろ子青山隼香川真司の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!

BJ おすすめ記事
нарядное платье для девочки

steroid-pharm.com

Этот важный портал с информацией про www.xn--e1agzba9f.com.