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ポスト五輪の東京~2020年以降も勝つまち、負けるまち~TOKYO2020

東京五輪、給与10分の1だった54年前の「輝きを再び」は幻想にすぎない

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1964年の東京オリンピック開会式の様子(写真:読売新聞/アフロ)
「eスポーツ」が注目を集めている。要するにコンピュータゲームのことだ。先般インドネシアのジャカルタで開催されたアジア大会では、公開競技に組み込まれた。


 ジャカルタ大会では、カードゲームのコントラクトブリッジが正式競技種目に採用されたことも話題を呼んだ。かつてのアジア大会では、チェスが種目になったこともある。チェスとブリッジは2020年の東京オリンピック(以下、東京五輪)の追加種目にエントリーした実績を持つ、自称「五輪候補種目」でもある。

「コンピュータゲームにしろ、チェスやブリッジにしろ、スポーツの祭典である五輪に似つかわしくない」

 そんな声も耳にする。しかし、果たして五輪は「スポーツの祭典」なのか。実は、必ずしもそうではない。

 近代五輪の創立者であるピエール・ド・クーベルタンは、五輪を「スポーツと文化・芸術の祭典」と位置づけた。実際、1912年のストックホルム大会から1948年のロンドン大会まで、「ミューズの五種競技」と呼ばれた、建築、彫刻、絵画、文学、音楽が五輪の正式種目に採用されていた。ミューズとは、ギリシャ神話に出てくる文化をつかさどる女神さまのことだ。

 知っているようで、あまりよく知らない。よく知らないから、思い込みだけが先行してしまう。五輪には、そんなところが少なくない。

思い込みが“ポスト五輪幻想”を生み出す


 2013年9月7日、当時のジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)会長が告げた「ジャパン」の声に日本中が沸き返った。その熱狂の裏からも、五輪にまつわる「思い込み」が顔をのぞかせてくる。

 NHKの報道によると、五輪の第一の意義や目的は「国威発揚」だそうだ。「五輪を国威発揚の場として政治利用するのはナチスの発想だ」という批判はともかくとしても、こうした考えが五輪憲章と真逆であることは間違いない。だが、「五輪は国家間のメダル獲得競争ではない」というのは、あくまでもタテマエの話。メダルの数が多いほうがいいと考えるのは、素朴な国民感情だろう。

 もっといえば、五輪と国威発揚を結びつけてきたのはアドルフ・ヒトラーだけではない。五輪の目的として、NHKが国威発揚に次いで挙げた、国際的存在感の向上、経済発展、都市開発の促進。これらをひっくるめて、外に向けても内に向けても国の勢いを示すこととは、国威の発揚にほかならない。景気のいい話に欠ける今日、繁栄の夢をもう一度。そんな思いが、日本中を歓喜の渦へと導いたのだ。

 しかし、東京の熱気とは裏腹に、2024年のパリ大会も2028年のロサンゼルス大会も、事実上コンペティター(競争相手)なしで決まった。五輪はもはや、他国と招致を競い合う、国を挙げてのイベントではなくなった。

 第二次世界大戦終結後、五輪は長く「国威発揚のエポック(画期)」であり続けてきた。そのど真ん中に1964年の東京大会がある。だから、私たちは2020年大会にも当時と同じ目を向ける。1964年大会が東京を、そして我が国を大きく変えたように、「2020年五輪も同じようなインパクトを与えてくれるだろう」と思い込む。しかし、冷静に考えれば、それはもはや幻想以外の何物でもない。

1964年の東京は「イケイケドンドン」が合言葉


 前回の東京五輪が開催された1964年とは、どんな時代だったのだろうか。図表1に、データが示す当時と現在の社会の変化を総まとめした。


 我が国の高度経済成長期は、「もはや戦後ではない」といわれた1956年からオイルショックに見舞われる1973年秋までの17年間とされる。1964年は、ちょうどその折り返し点にあたる。

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